翻訳と辞書
Words near each other
・ ナンバー君
・ ナンバー記号
・ ナンバー銀行
・ ナンバ地下センター
・ ナンバ壱番館
・ ナンバ歩き
・ ナンバ球場
・ ナンバ記号
・ ナンバ走り
・ ナンパ
ナンパ (アイダホ州)
・ ナンパ問題
・ ナンフ
・ ナンブ
・ ナンブアカマツ
・ ナンブアザミ
・ ナンブイヌナズナ
・ ナンブサケ
・ ナンブシシバナヘビ
・ ナンブタカネアザミ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ナンパ (アイダホ州) : ミニ英和和英辞書
ナンパ (アイダホ州)[す, しゅう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ナンパ (アイダホ州) : ウィキペディア日本語版
ナンパ (アイダホ州)[す, しゅう]

ナンパ(、発音:/ˈnæmpə/)は、アメリカ合衆国アイダホ州南西部に位置する都市。州間高速道路I-84沿い、州都ボイシの西約20マイル(約32km)、メリディアンの西約6マイル(約9.6km)に位置する。ボイシの衛星都市として高い成長を遂げており、1990年代遅くに州東部のアイダホフォールズポカテッロを追い抜いてアイダホ州第2の都市となった。2000年国勢調査による人口は51,867人だったが、2010年国勢調査では2000年時点よりも50%以上増加し、81,557人となっている〔Nampa, Idaho - accessed 2011-10-08.〕。「ナンパ」という名前はモカシン(鹿皮製の靴)あるいは足跡を意味するショショーニー語から来ている〔The Origin of the Name Nampa , Idaho State Historical Society, May 1966〕。
== 歴史 ==
ナンパは1880年代にオレゴン・ショートライン鉄道会社がワイオミング州グランジャーからオレゴン州ハンティントンまでナンパを通る鉄道線を建設したときにその歴史が始まった〔City of Nampa 〕。その後も次々と鉄道線がナンパを通るようになり、ナンパは大変重要な鉄道町になった。アレクサンダーとハンナのデュフェ夫妻が町で初めての家屋を建設し、その友人で共同設立者でもあるジェイムズ・マギーの援助もあって、ナンパ土地改良会社を設立した。この会社の名前があったにも拘わらず、土地に集まった市民は宗教色が強かったので、初期開拓者の多くはこの町を「ニュー・ジェルーサレム」と呼んだ。わずか1年で町の人口は15人から50人に増えた。新しい快適な施設も作られて成長を続け、1890年には自治体となった。
西部開拓時代の町の大半は道路が南北に走っているのとは異なり、昔からあるナンパの道路は北西から南東に走る鉄道に垂直に置かれた。このために町の北部は鉄道の北東部になり、町の南部は南西部になった。アレクサンダー・デュフェは以前にカナダトロント近くで区画割りを行った町で起こったような事故を防ぐためにナンパの通りをこのように配置した。その事故とは一人の女性と2人の子供が線路を渡ろうとして乳母車が線路に嵌って動かなくなり、列車に轢かれて死んだものだった。当初のオレゴン・ショートライン鉄道線はボイシを迂回しており、ナンパはこの地域に建設された多くの鉄道駅の中でも最も魅力ある町になった。
1890年代に最初の小学校が建設された。そのレイクビュー小学校は6番通りと12番アベニュー北の丘の上にあり、エセル湖が見える所である。この学校の創立100周年祭りの直後に廃校になり第一メノナイト教会に売却された。2008年にこの校舎が改装され、アイダホ州芸術チャータースクールが使っている。

灌漑用貯水池であるエセル湖は長く地域社会のピクニック目的地として使われてきており、この湖と周辺の施設を使って多くの市民が釣り、水泳、ボート漕ぎや狩りまでも楽しんできた。しかし、地元のハンター達が隣接する資産の所有者O・F・パーソンズのペットのアヒルまで撃つようになったことに抗議があったので、狩りは長続きしなかった〔Muhr, Eric. "Lakeview Park replaces Lake Ethel." ''The Idaho Press-Tribune''. ''Cavalcade'' February 2005.〕。
ナンパ市はこの湖を入札にかけた。E・H・デューイ(元ナンパ市長)だけが応札した。しかしたまたま起こった洪水のために近くの住人からの一連の訴訟が起こった。デューイは結局エセル湖の水を空けてしまった。それから間もなく市政委員会がフリッツ・ミラーの資産やデューイの家屋の買い戻しに興味を示すようになった。その後4年以上圧力が高まった。ナンパ市民は新しい公園を望んだ。1924年8月7日、市政委員会はミラーの資産を買収する条令を通し、そこをレイクビュー公園と名付けた。野外ステージが1928年に完成し、市民プールは1934年8月13日にオープンした。プールの入場料は1人10セント、あるいは15人で1ドルである。レイクビュー公園はナンパで最大の公園であり、多くの地域社会のお祭りがここで開催されている〔Nampa Parks Dept 〕。
アイダホ州シルバーシティの鉱山で財産を作ったウィリアム・H・デューイ大佐がナンパに4本の鉄道線が集まる利点に目を付けて、1902年に25万ドルを掛け優美なデューイ・パレスホテルを建設した。デューイ大佐は1903年にこのホテルで死に、その息子に100万ドルを遺した。このホテルはナンパ中心街数ブロックを焼き尽くした1909年の大火を生き残ったが、1963年にその大きな建物を改修しようという者がいなかったので解体された。シャンデリアやホテルの金庫のような記念品がキャニオン郡歴史博物館に収められている。この博物館はフロント通りとナンパ市役所前にある古い駅舎を使っている。第1通り沿い11番アベニューと12番アベニューにあったホテルを解体した後、南側部分は銀行とタイヤ店など民間企業に売却され、この歴史的建物は現在ある現代的構造物に生まれ変わった。ナンパ中心街組合(地元の商工会議所)とアメリカボーイスカウトのためのイーグルスカウト・プロジェクトとの間の協業で、元のパレスホテルから通り向かいに公共用途の切手サイズの公園が置かれた。この公園にはこのプロジェクトのために発注された走る馬を彫った大きな壁画がある。
カーネギー図書館が1908年に中心街に造られた。これは1966年に図書館を移転した後焼け落ちた。ナンパ公共図書館は現在第1通りと11番アベニュー南の角の古い銀行の建物に入っている。この図書館自体がお粗末な状態にあるが、新しい図書館の計画が進行中であり、建設は今後数年以内に始める提案が成されている。
1906年から1911年の間に灌漑用貯水湖であるディアフラット貯水湖がアメリカ合衆国開拓局の手で造られた。地元ではローウェル湖と呼ばれ、1909年にセオドア・ルーズベルト大統領によって制定されたディアフラット国立野生動物保護区に囲まれている。この保護区は合衆国魚類野生生物局によって管理されている。ローウェル湖はコンクリートで埋められている。水はボイシ川のラッキーピーク・ダムから数マイル下流から引いている。
アイダホ州立学校病院は州内の発達障害者のために1910年にナンパの北西に建設され、1918年に会館された。この施設は大半が自給自足であり、入居者が耕作する大きな農園がある。機能障害の軽い入居者が自分のことをできない入居者の面倒を見てもいる。この州立学校の開館時点から発達障害のある人にたいする介護が大きく変わってきた。古い農園用の土地は売却されて現在はゴルフ場になっており、入居者は他の入居者に対する介護を行ってはいない。この施設は改修され現在でも運営が続いているが、古い建物の幾つかは現在少年犯罪者収容のために使われている。
ナンパでは1908年頃から毎年、収穫祭農夫市場が開催されている。この祭から1937年にスネーク川ロデオ大会が始まり、現在でも続いており、プロによる巡回ロデオの中ではトップ12に入っている。
ナザレ派教会の地元教徒が1913年に小さな小学校を建て、1915年にはノースウェスト・ナザレ・カレッジに成長し、最終的にノースウェスト・ナザレ大学になった。この大学では現在2,500人の学生と大学院生が学んでいる。
1965年にトレジャー・バレーでは初の屋内型ショッピングセンターであるカーチャー・モールがオープンした。このモールでサンタクロースの膝に座ってオレンジ・ジュリアスを飲んだり、レッドバロン・ゲームセンターでゲームをした記憶がある地域住民も多い。カーチャー・モールは数十年間「人が集う所」であり続けたが、1988年にボイシにボイシ・タウンスクェアが建設されて、廃れていった。長年苦闘した後に今は復活しつつある。新しく州間高速道路84号線のインターチェンジが近くにでき、新しい事業が始まろうとしている。
ナンパは成長速度が速いので、新しい家屋、新しいショッピングセンターおよび新しい道路がある。カーチャー・インターチェンジの北にあるトレジャー・バレー・マーケットプレースには、コストコターゲットベスト・バイ、コスト・プラス・ワールドマーケット、オリーブ・ガーデン、マイケルズ、ドレスバーン、オールド・ネイビーベッド・バス・アンド・ビヨンドおよびコールズなど多くの小売店が入っている。その道路向かいにはマクドナルドなどが入る2番目のショッピングセンターがある。ナンパ・ゲートウェイセンターは州間高速道路84号線のガリティ・ブールバードに近くアイダホセンター側に新しく開発中のショッピングセンターである。J.C.ペニースポーツオーソリティメイシーズおよびアイダホ・アスレチッククラブがナンパ・ゲートウェイセンターに入っている。その他ウォルマートやサムズクラブのような大型店が同じ地域にある。
キャニオン郡地域の日刊地方紙はアイダホ・プレス・トリビューンである。2009年初期以降、アイダホ・ステーツマン紙の契約印刷所になっており、そこの時代遅れの印刷機は廃止され更新されていない。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ナンパ (アイダホ州)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.